一年の計は、元旦にあり
新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
一年の計は元旦にあり。昔の人はよく云ったもので、私はコレに全く異存がない。
ただ、この「計」をどう作るかが、非常に大事だと考える。
一年の計は、元旦にあり
私は、大晦日の夜から正月の昼にかけ、酒をちびちび舐めながら「一年の計」を作るのを、ここ20年の慣習としてきた。
1年後、5年後、10年後、20年後について、仕事や家庭、個人的な趣味などの項目について、精神的・物的な物にかかわらず「夢(≒かくありたい、と思うこと)」をひたすら書きだしていく。
物欲だって全開。「別荘を、山と海に合わせて2ヶ所、所有」なんて書いちゃうのだ。
そして、こうやって書いたものを常に見返しておくと、書いたことの1/3くらいは、いつのまにか実現してしまうのが面白い。
20年前に書いた「20年後かくありたい」と思ったことは、1/3くらいは実現している。
ところが、だ。
これがもっと若いうちなら、楽しみもあっただろう。
しかし、さすがにこの歳になると、この作業は自分の残り時間が少なくなってきていることを痛感させ、悲しい気持ちにさせる。
だって、20年後って・・・70近くになるのよ。
そこで一昨年から、この「計」の作り方を変えてみているのだが、どうも、これが相性がいい。
夢の達成を阻むものは何か。
世間の環境や、自分の能力、心持ち、体調、家族の変化など、挙げればキリがないが、その中の大きな壁の一つとして、「夢の実現に至る過程に、自分のやりたくないことが含まれている」と云うものがある。
夢の実現の過程において、やりたいこととやりたくないことがバッティングした時に、実現の速度が遅れたり、実現できなかったり、実現しても品質が悪かったりすることになるのは、まぎれもない事実で、これをどう克服するかが、重要な課題となる。
そもそも、やりたくないこと、というのは、大きく二つに分けることができる。
・自分には「できない」、または、不得手だから、やりたくない
・できるのだけど、(気が乗らない、など様々な理由で)やりたくない
若い時なら、できないことができるようになることには意味があるし、組織にいれば、やりたくないことでも、やらねばならないこともあろう。だからこそ、夢の魅力を原動力に、「やりたくないこと」を克服していかねばならないのだろう。
やりたくないことを、はっきりとさせる
しかし、自営業(に毛の生えた程度の法人社長)で、仕事のデキる男(自称)であり、いい歳したオッサン(公認)である私は、やりたくないことにイヤな思いをしている時間は、もうあまり残っていないのである。
それならば「やりたくないこと」をはっきりさせ、ソレが含まれているようなことに関わらない、という選択肢があるはずだ。
そして、本当にやりたいことにだけ、全身全霊を傾けることができるはずだ。
これこそが、私の新しい「計」の作り方だ。
やりかた
1.やりたくないことをリストアップする。
生理的にイヤ、とか、メンドクサイからイヤ、とか、そんなものも大歓迎。
ワガママ放題し放題の自分になって、やりたくないことをリストアップ。
2.やりたくないことをシンボル化
リスト化したやりたくないことを、グループにわけて、グループごとに一言で表現する。
ひと目見ただけで、同じグループ内のやりたくないことが全部思い出せるような言葉でね。
3.手帳の一番最初のページ書いておく
仕事を受ける時、何かに手をつけようとした時、かならずこのリストを見て確認する。
これでオシマイ。あとは日々を颯爽と生きていく、と。
若い人や、まだまだ貪欲な人なら、この「やりたくないことリスト」と、自分の夢を突き合わせて、夢を修正したり、嫌な事でもやり遂げるという覚悟を決めたりしてもいいかも知れません。
閑話休題・・・
私は、正月は引き篭もるの常だったのだが、ここ一年は、全体的に引き篭もっていることもあり、年末年始は外に出ることにした。■